ヨガの道
ヨガの道
幸せと不幸、お互いの存在を感じることが大事だ、とお話しました。
実はヨガの道――修行においては、更に一歩進んだことを求められます。
それは、幸せと不幸を感じたあと、自分を変化させないということです。
不幸なことがあっても泣かない。
幸せなことがあっても笑わない。
どんな状況にあっても、感情を大きく揺さぶられないこと。
これが、ブッダも目指したとされるヨガの道なのです。
ヨガには”スシュムナ”という言葉があります。
あらゆる物事を陰と陽の二つに分ける、「陰陽」という思想がありますが、「スシュムナ」は陰でも陽でもない、その中間の部分のことを言います。
陰にも陽にも傾かない。どちらかだけを味わうのではない。スシュムナに入ることが、ヨガの道なのです。
私・Viniもまだその状態には達していません。
達してはいませんが、何か感情の揺らぎがあったとき、「自分はどうしてこう感じたのだろう」「この人はなぜ、こう思ったのだろう」と考えるようにしています。
考えて考えて…そういうことなのか、という気づきを得ること――それも私にとってはヨガの道、修行であり、生きるということなのです。
yogi vini
不幸なことがあっても泣かない。
幸せなことがあっても笑わない。
どんな状況にあっても、感情を大きく揺さぶられないこと。
これが、ブッダも目指したとされるヨガの道なのです。
ヨガには”スシュムナ”という言葉があります。
あらゆる物事を陰と陽の二つに分ける、「陰陽」という思想がありますが、「スシュムナ」は陰でも陽でもない、その中間の部分のことを言います。
陰にも陽にも傾かない。どちらかだけを味わうのではない。スシュムナに入ることが、ヨガの道なのです。
私・Viniもまだその状態には達していません。
達してはいませんが、何か感情の揺らぎがあったとき、「自分はどうしてこう感じたのだろう」「この人はなぜ、こう思ったのだろう」と考えるようにしています。
考えて考えて…そういうことなのか、という気づきを得ること――それも私にとってはヨガの道、修行であり、生きるということなのです。
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